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ドキュメント 埋もれた地下兵器工場は語る 8月7日(木)総合 午後10:45〜11:30 原爆投下の候補地に挙げられていた都市が広島と長崎の他にもあったことはよく知られている。京都もそのリストにかなり後の方まで残っていたと聞いたことがある。また、8月9日、小倉が天候不順で当日の第二候補の長崎となったこともよく知られている。いずれにせよ、最終的には原子爆弾が投下された二つの都市が、「軍都」と呼ぶに値するような、軍隊と関わりの深い都市であったことは事実である。 軍都だったから落とされても仕方がなかったなどと言うつもりは全くない。米軍が原爆の効果を知るために、候補都市への空襲は必要最小限に抑えていたことを考えると、むしろ軍都を残しておいた米軍の余裕にあきれかえる。44年7月、サイパンを米軍が攻略し、日本本土への空襲が確実なものとなったが、その時点では原爆がいつ実現するかはっきりと決まってはいなかったはずである。だとするなら、そんな原爆を当てにせず、少なくとも東京大空襲の様な市民への無差別爆撃をする前に、軍都、広島、長崎の軍事施設を精密爆撃で破壊する方が、戦時国際法にもかなっているはずであった。そう考えると、原爆投下が対日戦争の勝利のためではなく、その後に控えた冷戦を見据えたもの(ソ連への威嚇)であったとする見方にも尚更納得がいく。 もっとも、今回取りあげる番組はそうした点を追及するのが主題ではなく、以上は私の感想である。では、軍都長崎の軍事工場を題材にして、どんな番組をNHKは作ったのか。 サイパン陥落を受け、大本営は空襲に備えて重要な軍事施設を地下に移して行く(と番組では説明されていたが、こうした移転の計画自体はもっと前から出ていたはずである)。「松代大本営」はその代表格であるが、無数の軍需工場も移転した。港のある長崎は、海軍の兵器を支えた(残念ながら今も自衛隊の兵器を支えている、、、その点は番組では触れられていない)三菱の工場が集まっていた。真珠湾攻撃で米軍を震撼させた海軍の九一式魚雷を作っていた工場も長崎にあった。地下に移転したその魚雷工場は、地名から住吉トンネル工場と呼ばれていた。 坂の多い町長崎の、斜面を掘り抜いて作られた幾本かのトンネル内に機会が最大800台運ばれ、動員の女学生や他の労働者達が24時間体制で働いたのである。突貫工事で掘られた、剥き出しの岩盤はもろく、いつ崩れるかわからない。水滴が天井から流れ落ち、湿気もすごい。そんな中で働かされた当時17歳の女学生だった牧山フジエさん。彼女の証言が番組の一つの軸となる。 住吉トンネル工場は爆心地から2.3km。壕という形態から、奥の方にいた人は熱戦を直接浴びなかったようだが、入り口付近で作業していれば重い火傷になる。そしてトンネル内にいても強烈な爆風が襲い、多くの人々が吹き倒されたという。怪我人のいる中、トンネルが避難所に指定されていたため、外から多くの被爆者が押し寄せてきたため地獄絵図のようだったという。 番組の後半、部隊が突然韓国、ソウルに変わる。当時住吉トンネル工場で働いていた2人の韓国人男性が登場したためである。 キム・ジョンムンさん79歳。15歳の時故郷の村を歩いていて、突然トラックに強制的に乗せられ、連れられていったのが住吉トンネル工場である。そこで無理やり働かされた挙句に被爆。耳がほとんど聞こえなくなり、爆風で吹く飛ばされた際腰を強打、その若さにして肉体的にきつい作業が以後ほとんどできなくなったという。 被爆したためであろう、今では前立腺がんに悩まされており、日本での治療を希望している。11年前にようやく、韓国にいるジョンムンさんにも被爆者健康手帳が発行された。だが、日本から年間14万5千円の補償が出るものの、韓国にあってはそれ以上の意味はない。がんの治療費が安くなったりすることはないのである。 ジョンムンさんの親戚、キム・ジョンギさん80歳も、同じく住吉トンネル工場で働いていた。被爆した際大火傷を負い、特に顔を火傷したため、帰国後も人前にほとんど出られなかったという。原爆のことなど知られていない当時の韓国では、生活していくのが大変だったという。2人とも大日本帝国の臣民として10代半ばにして強制労働に借り出された挙句の被爆であった。 今では在韓被爆者対象の健康相談を日本側は年2回行なっているとのことだが、がんの治療を日本で受けたいというジョンムンさんの思いは番組を見たところ実現していなさそうである。 番組のラストでは、63年ぶりに当時の同級生2人とトンネルを訪れた牧山さんの、何ともいえぬ複雑な表情が印象的であった。4年後を目指し、トンネルの一部を被爆遺跡として長崎市は一般公開する予定だという。被爆遺跡が日本の戦争被害だけのものでなく、兵器製造や強制連行という、加害をも同時に含みうるものであることを示す一つの例として、この番組を評価できるのではないかと思う。 テレビが掘り起こす戦争の証言 その1 その2 加害を語ることの難しさ その3 市街戦の記憶の欠落 その4 「寄せ集め」の軍隊とマニラ市民 その5 「軍都」長崎の被爆 |
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満州からの引き揚げが9条の理想像、
「アフガニスタンで起きた“異形の死”」について 満州の吉林で敗戦をむかえた澤地久枝は、苦労をして内地に引き揚げてきた。その引き揚げの経験こそが、9条の世界だと思う。生活の場を外国軍に蹂躙されても、防衛も抵抗もできない理不尽な状況が、9条の理想の平和国家ではないのだろうか。 ミッドウェーの戦死者も“異形の死”なら、満州で置き去りにされた屍骸も“異形の死”なのに…“異形の死”をのろいながら、その原因になりかねない9条の会活動に挺身する。そこのところが、彼女の内部で、どう整理されているもの... ...続きを見る |
罵愚と話そう「日本からの発言」 2008/08/31 16:36 |
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