多摩市民「九条の会」

アクセスカウンタ

zoom RSS 市長選挙のこと 〜「市長候補の主張を聞く会」の中止から 〜

<<   作成日時 : 2010/04/10 03:36   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

中止の意味
前回の記事で紹介した3月31日の「市長候補の主張を聞く会」が中止になった。4月4日に告示され、多摩市の市長選挙が公式に始まったのだが、その前からすでに各候補動き出していた中で、このような会が中止になることの意味は何だったのだろう。

多摩地域のタウン紙『アサヒタウンズ』の最終号となった2010年3月25日号の記事では、この「市長候補の主張を聞く会」には、記事の時点で2名の候補者が参加予定と書いてあった。3月末の時点で、立候補を表明していた候補は計4名であったが、そのうち一名が正式には立候補しなかったので、その一名を除く3名のうち2名が会の一週間前には参加を予定していた。

主催者である民権com.の当日の説明によれば、結局参加候補が1名になってしまったため中止になったということである。誰が参加を予定し、だれが参加を拒否したかとかいったことを正確な情報のないままにここで論じるのは色々と問題があるので、それは置いておく。だが市民運動の側がこうした会を開催しようとし、結局のところ市長候補者全員を集められなかったということは、結局のところ主催者の呼び掛けにこたえなかった候補者が存在するということである。市民の呼び掛けに応じて、候補者同士が互いの主張を同じ場で市民に聞いてもらうという、普通に考えれば至極まっとうで必要なことが実現しないというのは、呼び掛けた市民の側に力が足りなかったということでもあろう。市民がこうした会を開き、何を差し置いても全候補者が参加するのが「当然」というレベルには程遠いのが多摩市に限らず多くの日本の地方自治の現実であろう。呼び掛けた主催者がなめられているのか、あるいはどうしても日程調整がつかなかったかということだろう。とはいえ参加を拒んだ候補者にとって、こうした会に優先する都合というのは、一体どういうものだったのだろうか。

民主主義の前提
民主主義において、選挙というのは議員、首長の決定のための重要な手段であるが、その手段が正当性を持つためには、事前の議論やマニフェストの浸透などのプロセスが不可欠である。それを確保するためには、さまざまなメディアを含めた可能な限り公平な、(ドイツの哲学者、ユルゲン・ハバーマスの言う)「公共性」を担保された言論空間、「公共圏」(public sphere)が不可欠である。少なくともどこからどう見ても特定の候補に有利な場でないならば、それは出席すべきであり、その上で会の開催の仕方に何らかの問題があったならば、それを議論してより「公平なもの」に近づけていかねば、「公共圏」、ひいては民主主義など育ちようがない。上記のような会に参加しない候補者というのは、正面から市民に向けて政策を発信して他候補とぶつかり合う、ということを避けているのではなかろうか。もちろん有権者の側も、民主主義が成立するための前提としてのそうした公共圏を作る意識が弱すぎるから、市長候補も民意を無視しても大してしっぺ返しを受けない。(注)

各候補が結局なぜ参加しなかったか、あるいは参加をしようとしたのが誰なのかといったことは、今回の市長選そのものにとって以上に、次のような点で重要である。つまり、市民に開かれた政策決定過程を作る、そうした開かれた場に身をさらす覚悟のある政治家の在り方を示すという点である。これは今後の多摩市における政治にとって本当に重要なはずのことである。

選挙の結果以上に大切なこと
市長選で誰が勝つのか、ということは重要なことだろう。そして、市長が決まってしまえば、一市民運動が企画し、中止になったこうした会の意味など、誰も振り返らないのかもしれない。しかし多摩市では渡辺幸子現市長が好きな言葉、「新しい公共」という名のもとに、行政サービスの民間委託やNPOへの委託などが進んでいる。そして各候補ともにそうした「新しい公共」につながるような主張を展開している。だとするならば、それは市役所(行政)からの丸投げあるいは押しつけという形ではなく、上記のような公共空間、言論空間に関心を持ち、それに自ら参加するような市民抜きには実現しない。現在の日本で市民運動というものが、そうした市民の数少ない源泉の一つになっていることは強調しなければならない。現実にはそうした自覚と時間のある市民というのは限られているのだ。そうした限られた市民の呼び掛けにすら応えられないで、無関心層を動かせると思いあがっている候補者がいないとよいのだが、、、。いや、そもそもそうした問題をキチンと考えていないのではないかとも思う。市民が盛り上げる形での「新しい公共」をぶつのは選挙向けのリップサービスでしかなく、結局は行政の論理でコストカットのために民間委託を進めるというのであれば、「新しい公共」などという名前を使うべきではない。財政的に無理だからカットしますと正面から言うべきである。

色々と書いてきたが、要するに、結局のところ市民が変わらなければ市長が誰になろうと、現在の苦しい状況が変わるわけではない。「苦しい」と書いたが、そうした現状が共有されていない、あるいは認識されてすらいない市民が多いのが現実なのである。そして、そうした市民を動かすためにも、市民の側が呼び掛けた上記の会のようなものを、各候補は大切にすべきだったのである。そして、こう書いている私自身も含めた市民の側は、(その市民の中から出る、ハズの)候補者にとって、こうした会に来るのが当たり前というレベルの公共空間を作ることが求められているのだ。


(注) 09年総選挙で、有権者は今までずるずると政権にいることを容認してきた自民党を批判し、政権から降ろしたわけだ。ところが、みんなの党など、自民党出身の保守政治家たちが看板を変えただけの新党を作るとそこに飛びつくいう世論調査が、多くの有権者の底の浅さを露呈している。本当に自民党がダメなら、そして有権者が選んだはずの民主党もダメだというのならば、政治家を育て、選出するための現在の政党組織の機能不全をこそ問題にしなければならない。それを変えさせるためには現在の大政党の外にいるものが大きな声を挙げ、現在の政治家にはいないタイプの人々が政治に参与できるシステムを作らせなければならない。「作らせなければ」と書いたのはもちろん、放っておけば権力についている側は自分たちに有利なシステムを変えるわけはないのであり、メディアを含めて言論で大きな声を上げられなければ、何も変わらないからである。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
地獄の扉を開いてしまった日本人(開かされてしまった?)=政権交代・民主党で日本人滅亡 外国人参政
権反対C・gの意見52 ...続きを見る
民主党で日本人滅亡 外国人参政権反対(旧...
2010/04/10 12:55

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
市長選挙のこと 〜「市長候補の主張を聞く会」の中止から 〜 多摩市民「九条の会」/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる