基地経済という迷路 沖縄が見えない その6
日本において沖縄という地域は、特殊な歴史的背景、社会的性格を持っている。このシリーズで触れて来たような、他の地域から受ける差別的な関係があるわけだが、更に問題なのは、それに対する沖縄からの抗議の声が隠蔽されてしまうということなのだ。一地域からの声が全国には届きにくいということは珍しいことではないが、沖縄に関してはとりわけ、そもそも抗議の意味が読み取りにくいような構造が横たわっていると私は見ている。
「南の楽園」沖縄というイメージは近年とみに強まっているといえる。高度成長で暮らしが豊かになったはずなのに、更には公害などでその負の面も見えていたはずなのに、経済成長という価値観を疑うことができずに突き進んだ戦後の日本。バブルがはじけてしばらくして、過労死していくモーレツな企業戦士を再生産し続けてきたような企業社会のあり方が見直され、今で言うスローライフがもてはやされるようになった。そんな中で「てーげー」(たいがい)の文化を持つ(と言われ)、豊かな緑と透き通る海に恵まれた沖縄は、今までの日本人が失ったものを持った天国として描かれ、受容された。南国の楽園イメージが受容されればされるほど、日本政治が沖縄にもたらす歪みが見えなくなる。かといって基地の島イメージが強まれば観光客は減る。現に9・11の同時多発テロ後、米軍施設の多い沖縄への観光客は一時期目に見えて減少した。
1972年の返還までは、沖縄といえば基地の島というイメージが日本でも強かった。ベトナムを爆撃するC-52爆撃機が飛び立つ悪魔の島であり、米軍の「不沈空母」でもある、それがオキナワだった。米国の統治下にあり、住民無視、軍事優先での戦後復興が進められた沖縄は、日本経済から切り離され、高度経済成長の恩恵を受けることができなかった。戦後の復興期に、大企業のみならず、様々な町工場などが地道に技術を磨き日本の産業の基礎力を上昇させた高度経済成長。それを経なかった米国統治下の沖縄経済は、米軍の軍需産業や、関連施設の開発などに依存せざるを得なかった。
1972年の日本への返還後も沖縄に多くの米軍基地が残った。先祖伝来の土地を米軍に奪われて困窮している農民など地主を取り込もうと、復帰後には日本政府が基地使用料を跳ね上げ、基地経済への依存を強めることで、基地の集中の固定を図ってきた。返還された施設もあるが、中にはそのまま自衛隊に引き継がれたものもある。以前に少し触れたように、ひどい環境汚染で使い物にならないような土地もあった。
産業を起こそうにも、他県との技術格差は明らかで、観光業と公共事業による経済成長を望むしかなかった。とはいえ、それだけでは基地経済からの脱却は難しい。商工業の育成も必要である。しかし、宜野湾市の中心部にデンと鎮座する普天間基地が典型だが、優良な商業地、工業地になりうる土地が使えない上、広大な米軍施設は街の交通を遮断し、流通などにも大きく影響を与える。戦後における軍事優先の復興、都市計画の爪痕は大きい。基地に経済依存する限り正面から基地反対を訴えられず、基地がある限り経済的自立が難しいという悪循環が、沖縄の抱える経済的な問題である。(現在にまで根強く残るこの問題に関しては、『沖縄タイムス』の2006年1月11日社説に詳しい)
ちなみに、この基地経済の構造は、小泉”構造改革”によって、一層悪化する可能性が高い。工業などの弱い地域の例に漏れず、沖縄でも中小(ほとんどが小規模)建設会社が公共事業の恩恵を受けてきた。観光業と並ぶ重要な収入源であった。ご存知の通り公共事業は全国的に減る一方である。ところが、先の名護市長選で経済振興を訴える候補者が当選した。仮に島袋市長の言う「修正案」が具体化して、基地受け入れが決まるとすれば、どうなるか。地元の意向はどうであれ、政府は基地を受け入れと引き換えに、公共事業その他の大型経済振興策を用意するだろう。
公共事業の大幅カットが当たり前になってきたこの時代に、そうした「アメ」は魅力的に映る。しかしそんな時代だからこそ、その振興策の代償は、地元が見ているより遙かに重いのである。今後出てくるであろう経済振興策は、今まで沖縄が受けてきたような基地が「あること」と引き換えの事業ではなくなる。基地を新たに「作ること」によってようやく与えられる振興策という位置づけである。沖縄北部が「貧しいから」経済振興策が与えられるのではなく、「基地の受け入れ」が実質上の条件なのだ。沖縄県側は、飛行場を作ったとしても軍事基地としての使用年限を区切って (15年間を県は主張) 返還してもらい、その後は民間空港に転用するという青写真を描いているが、そんなことが可能であれば、今頃とっくに辺野古以外の場所に移転できている。基地の受け入れ先がなければ、日米政府は基地の返還に合意するはずがないからだ。沖縄経済の前に立ちふさがるこうした壁に対する打開策は、今のところ見つかっていないと言えそうだ。
次回へ続く。
ちなみに、この記事を書く際に特に参照したというわけではないが、戦後の沖縄経済に関しては、内田真人『現代沖縄経済論 復帰30年を迎えた沖縄への提言』 が比較的読みやすいと思われる。現状に対する提言などは正直あまり賛成できない部分もあるが、日本銀行那覇支店の支店長(当時)だけあり、現状分析などは手堅い。
「南の楽園」沖縄というイメージは近年とみに強まっているといえる。高度成長で暮らしが豊かになったはずなのに、更には公害などでその負の面も見えていたはずなのに、経済成長という価値観を疑うことができずに突き進んだ戦後の日本。バブルがはじけてしばらくして、過労死していくモーレツな企業戦士を再生産し続けてきたような企業社会のあり方が見直され、今で言うスローライフがもてはやされるようになった。そんな中で「てーげー」(たいがい)の文化を持つ(と言われ)、豊かな緑と透き通る海に恵まれた沖縄は、今までの日本人が失ったものを持った天国として描かれ、受容された。南国の楽園イメージが受容されればされるほど、日本政治が沖縄にもたらす歪みが見えなくなる。かといって基地の島イメージが強まれば観光客は減る。現に9・11の同時多発テロ後、米軍施設の多い沖縄への観光客は一時期目に見えて減少した。
1972年の返還までは、沖縄といえば基地の島というイメージが日本でも強かった。ベトナムを爆撃するC-52爆撃機が飛び立つ悪魔の島であり、米軍の「不沈空母」でもある、それがオキナワだった。米国の統治下にあり、住民無視、軍事優先での戦後復興が進められた沖縄は、日本経済から切り離され、高度経済成長の恩恵を受けることができなかった。戦後の復興期に、大企業のみならず、様々な町工場などが地道に技術を磨き日本の産業の基礎力を上昇させた高度経済成長。それを経なかった米国統治下の沖縄経済は、米軍の軍需産業や、関連施設の開発などに依存せざるを得なかった。
1972年の日本への返還後も沖縄に多くの米軍基地が残った。先祖伝来の土地を米軍に奪われて困窮している農民など地主を取り込もうと、復帰後には日本政府が基地使用料を跳ね上げ、基地経済への依存を強めることで、基地の集中の固定を図ってきた。返還された施設もあるが、中にはそのまま自衛隊に引き継がれたものもある。以前に少し触れたように、ひどい環境汚染で使い物にならないような土地もあった。
産業を起こそうにも、他県との技術格差は明らかで、観光業と公共事業による経済成長を望むしかなかった。とはいえ、それだけでは基地経済からの脱却は難しい。商工業の育成も必要である。しかし、宜野湾市の中心部にデンと鎮座する普天間基地が典型だが、優良な商業地、工業地になりうる土地が使えない上、広大な米軍施設は街の交通を遮断し、流通などにも大きく影響を与える。戦後における軍事優先の復興、都市計画の爪痕は大きい。基地に経済依存する限り正面から基地反対を訴えられず、基地がある限り経済的自立が難しいという悪循環が、沖縄の抱える経済的な問題である。(現在にまで根強く残るこの問題に関しては、『沖縄タイムス』の2006年1月11日社説に詳しい)
ちなみに、この基地経済の構造は、小泉”構造改革”によって、一層悪化する可能性が高い。工業などの弱い地域の例に漏れず、沖縄でも中小(ほとんどが小規模)建設会社が公共事業の恩恵を受けてきた。観光業と並ぶ重要な収入源であった。ご存知の通り公共事業は全国的に減る一方である。ところが、先の名護市長選で経済振興を訴える候補者が当選した。仮に島袋市長の言う「修正案」が具体化して、基地受け入れが決まるとすれば、どうなるか。地元の意向はどうであれ、政府は基地を受け入れと引き換えに、公共事業その他の大型経済振興策を用意するだろう。
公共事業の大幅カットが当たり前になってきたこの時代に、そうした「アメ」は魅力的に映る。しかしそんな時代だからこそ、その振興策の代償は、地元が見ているより遙かに重いのである。今後出てくるであろう経済振興策は、今まで沖縄が受けてきたような基地が「あること」と引き換えの事業ではなくなる。基地を新たに「作ること」によってようやく与えられる振興策という位置づけである。沖縄北部が「貧しいから」経済振興策が与えられるのではなく、「基地の受け入れ」が実質上の条件なのだ。沖縄県側は、飛行場を作ったとしても軍事基地としての使用年限を区切って (15年間を県は主張) 返還してもらい、その後は民間空港に転用するという青写真を描いているが、そんなことが可能であれば、今頃とっくに辺野古以外の場所に移転できている。基地の受け入れ先がなければ、日米政府は基地の返還に合意するはずがないからだ。沖縄経済の前に立ちふさがるこうした壁に対する打開策は、今のところ見つかっていないと言えそうだ。
次回へ続く。
ちなみに、この記事を書く際に特に参照したというわけではないが、戦後の沖縄経済に関しては、内田真人『現代沖縄経済論 復帰30年を迎えた沖縄への提言』 が比較的読みやすいと思われる。現状に対する提言などは正直あまり賛成できない部分もあるが、日本銀行那覇支店の支店長(当時)だけあり、現状分析などは手堅い。
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