小田実さんのご冥福をお祈りする
9条の会の呼びかけ人の一人である作家の小田実さんが7月30日に亡くなられた。75歳であるから「早すぎる死」とまでは言えないが、もっと長生きして色々と活躍してほしい存在だった。1932年生まれ、「戦争とともに育った」小田さんは、1945年8月14日、つまり「玉音放送」の前日、大阪空襲を体験した。「空襲のあとで、空からまかれた『お国の政府が降伏して、戦争は終りました』云々のビラを拾ったのである」(『「難死」の思想』)。その日の空襲での、どう考えても意味づけしようのない人々の無惨な死を軸に反戦思想を展開した「『難死』の思想」を書いたのが1965年であった。その年にベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)が結成された。
9条の会の呼びかけ人である鶴見俊輔さんは、60年の安保闘争の時、「声なき声の会」に参加していた。デモに参加する人々を揶揄した岸首相の発言を逆手にとって命名されたこの会は、政党に捉われず誰でも入れる安保反対のデモを作り、無党派の市民が自主的な組織を作れることを示した。その組織形態をベトナム反戦の動きに取り入れたのがベ平連なのだが、「そのときに新しいリーダーをえらぼうというので、小田実に声をかけ、彼が代表になった。『声なき声』から出発してつくったベ平連が小田実の力でものすごい大きな運動になって、今度は逆にこれに引きずりまわされてね、ベ平連が続いている間は大変だった」(鶴見俊輔『戦争体験』)と鶴見さんは語っている。何気なく頼んだ小田実という存在が実は巨人の如く大きかったわけである。
小田さんは既に1961年、『何でも見てやろう』がベストセラーになり世に知られていた。この旅行記は小田さんのアメリカ留学と帰国の際の世界旅行、その先々で出会った人々との様々なやり取りなどが描かれているのだが、そもそも小田さんは古代ギリシア思想の研究のためアメリカに留学したのである。
古代ギリシアの思想といえば、西欧思想の源流を為すありがたくも近寄りがたいモノのように思われ、「気さくな大阪のアンチャンたる小田さんもそんなの勉強するなんて結局はインテリなのね」とお思いの方もいるかもしれない。まあインテリでもよいのだが、ともかく古代ギリシア語は、現在の世界の諸言語とは違い、学術用語や専門用語が発達しておらず、2000語程度の語彙からなることばだった。つまり私たちが日常生活で用いる話し言葉と同様のレベルの言葉で、非常に深い思考を展開したのが古代ギリシアの思想だったのだ。
小田さんの書いたものを読んでみれば、それが日常的な言葉で噛み砕くように書いてあることにすぐに気付く。しかし言っていることは非常に射程が広い。二千数百年前の古代ギリシアの時代から今につながる大きな時間感覚と、『何でも見てやろう』やベ平連の活動に見られた世界大の地理感覚。それを「普通の市民」に伝える言語感覚。これは9条の会がこれから深めていくべき運動の方向を指し示しているように私には思える。
私たちは小田さんという巨大な存在を喪ってしまった。しかし小田さんの痕跡は様々な書籍や、その行動を知る人たちにしっかりと残されている。言葉だけで行動をしない人に小田さんは厳しかったと聞く。今後は天国から、その眼光鋭い眼で私たちの運動、日本の、世界の行く末を厳しく、そして愛情をもって見守ってくれることと思う。
2007年7月31日
9条の会の呼びかけ人である鶴見俊輔さんは、60年の安保闘争の時、「声なき声の会」に参加していた。デモに参加する人々を揶揄した岸首相の発言を逆手にとって命名されたこの会は、政党に捉われず誰でも入れる安保反対のデモを作り、無党派の市民が自主的な組織を作れることを示した。その組織形態をベトナム反戦の動きに取り入れたのがベ平連なのだが、「そのときに新しいリーダーをえらぼうというので、小田実に声をかけ、彼が代表になった。『声なき声』から出発してつくったベ平連が小田実の力でものすごい大きな運動になって、今度は逆にこれに引きずりまわされてね、ベ平連が続いている間は大変だった」(鶴見俊輔『戦争体験』)と鶴見さんは語っている。何気なく頼んだ小田実という存在が実は巨人の如く大きかったわけである。
小田さんは既に1961年、『何でも見てやろう』がベストセラーになり世に知られていた。この旅行記は小田さんのアメリカ留学と帰国の際の世界旅行、その先々で出会った人々との様々なやり取りなどが描かれているのだが、そもそも小田さんは古代ギリシア思想の研究のためアメリカに留学したのである。
古代ギリシアの思想といえば、西欧思想の源流を為すありがたくも近寄りがたいモノのように思われ、「気さくな大阪のアンチャンたる小田さんもそんなの勉強するなんて結局はインテリなのね」とお思いの方もいるかもしれない。まあインテリでもよいのだが、ともかく古代ギリシア語は、現在の世界の諸言語とは違い、学術用語や専門用語が発達しておらず、2000語程度の語彙からなることばだった。つまり私たちが日常生活で用いる話し言葉と同様のレベルの言葉で、非常に深い思考を展開したのが古代ギリシアの思想だったのだ。
小田さんの書いたものを読んでみれば、それが日常的な言葉で噛み砕くように書いてあることにすぐに気付く。しかし言っていることは非常に射程が広い。二千数百年前の古代ギリシアの時代から今につながる大きな時間感覚と、『何でも見てやろう』やベ平連の活動に見られた世界大の地理感覚。それを「普通の市民」に伝える言語感覚。これは9条の会がこれから深めていくべき運動の方向を指し示しているように私には思える。
私たちは小田さんという巨大な存在を喪ってしまった。しかし小田さんの痕跡は様々な書籍や、その行動を知る人たちにしっかりと残されている。言葉だけで行動をしない人に小田さんは厳しかったと聞く。今後は天国から、その眼光鋭い眼で私たちの運動、日本の、世界の行く末を厳しく、そして愛情をもって見守ってくれることと思う。
2007年7月31日
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